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僕はナゼ「茅高を悪くした」のか? -3-

駒崎 亮太

 

 

「それともオレが悪いのか・・・」

 

自分が抱えている弱点欠点などついて、「それは自分のせいだ」と言ってしまうだけだと、社会・時代・政治の問題が見えにくくなってしまいます。自分のせいも少しは(?)あるけれど、基本的には教育のせいで僕は、学校時代に自分をつくることに失敗した、と言えます。

高校生活の最後は、オメデタクも理想の湘高生像(部活をやり生徒会をやり東大に入る)を体現しようと、適性も考えず(と言うより、個性主体性がないと何が適性かも分からないのですね)東大を目指します。それも文I(法律政治関係)は向いてなさそう(!?)なので、文II(経済)を狙いました。実は漠然と教員かジャーナリスト・出版社に進みたいと思っていたのですが、文学関係は弱いし、また、就職に不利といわれていた文IIIは低く見られていたのでやめました。何ということでしょう。劣等意識を持ちながらの見栄ですね。

 そして幸か不幸か現役で合格してしまったのです。浪人していたら、自分のこと、自分の将来、職業のことをちゃんと考えたかも知れないという点が一つ。もう一つは、高校のときに仲の良かった友達3人がみんな浪人(2人は2浪)してしまい、僕だけが大学生活をエンジョイしてしまっては申し訳ないという後ろめたさを感じ、センチメンタルな禁欲を自らに課した点です。

 

 大学生活は、そのような出だしだったせいだけでなく、目的意識もなく考えも浅く、高校で授業を受けるやり方の延長のように、講義にマジメに出るだけで、自分でちっとも学ぼうとしない学生でした。

それでも初めての五月祭で、沖縄戦や部落差別を扱った企画に出会ったときは、ショックを受けました。高校では何も「ホントのこと」を「教えてもらえなかった」(しかし、もし扱われていたらどう反応したでしょうか・・・)と憤慨し、出版社でいい本をつくるか、高校の社会科の教員になって「ホントのこと」を教えたい、という思いが、強くなっていくのです。

 

 しかし、これまた「自分のせい」でもあるのかも知れませんが、大学4年間は漫然と過ごしてしまったのです。もともと経済を学ぶ気はなかったし、そのくせ自ら焦点を絞って学ぶことはなく、あたら4年間を棒にふった観があり悔いが残ります。

 

 3年になる時、経済学部だけでは、高校社会科教員になるだけの単位が揃わないと分かり、出版社等にするかと腹を決めましたが、そのために真剣な就職活動をすることもなく目標の仕事に就けないまま、隣接した(?)印刷会社に入りましたが・・・そんなわけ、ないだろっ!・・・失意で7月にはやめる腹を固めましたが、とりあえず翌年4月に古巣へ学士入学する(卒業後もう1年他学科の4年になれたのです)まで稼ぐことにし、5時以降に、しばしばベ平連のデモに参加していったのです。(挫折を重ねての「転んだらシメた」です)

 それは67年のことですから、「生まれた時が悪いのか、それともオレが悪いのか・・・」とか「大事な青春むだにして、紙切れ一枚に身を託す まるで河原の枯れすすき こんな受験生に誰がした」(受験生ブルース)という告発のメッセージが巷にあふれる前夜でした。

"僕はナゼ「茅高を悪くした」のか? -3-"に2 件のコメントがあります

  1. コメント from Flower:

    毎号読み応えがあって楽しみにしています。

    67年はちょうど私が生まれた年です。
    オーティス・レディングとチェ・ゲバラが死んで、天才バカボンの連載が始まって、建国記念日が制定された年です。

    「生まれた時が悪いのか・・・、それともオレが悪いのか・・・」
    私にはまだ分かりません。

  2. コメント from ayumi:

    わたしは4歳です。
    父が「世界は二人のため」や「夜霧よ今夜もありがとう」を歌っていた記憶があります。
    家族の誕生日に、何か録音できるものでトークショウを録っていた。交代で歌を歌ったりしてた・・・

    わたしが「帰ってきたヨッパライ」を口ずさんでいた頃、駒さんは悩める大学生だったのですね。

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