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僕はナゼ「茅高を悪くした」と言われるようになるのか  -6-

 

 僕はナゼ「茅高を悪くした」と言われるようになるのか

 

                                                                                         駒崎 亮太

 

 

 [2つの権力については認識し、抵抗していくが、もう1つの権力については鈍感だった] 

 

 いよいよ70年、茅高へ来るわけですが、その前に2月、洲本高校でM・Mさんから強烈なパンチをもらうわけです。指摘されたことの2つは肝に銘じたつもりでしたが、もしかすると肝腎なことをおろそかにしたのかも知れません。 

 僕は次のような恥ずかしいことを、M・Mさん宛の手紙に書きました。まず書き出しがひどい。「これは親書です。教師と生徒の立場、関係を離れて大人同士、或いは友達同士のように、そして事柄を第3者的に(非人情)とらえての話です…」と始めて「…世界史について正当な関心を持たない多くのやる気のない人は、楽な方、安易な方へと流れ、遂に自分をダメにする傾向がある…(カラ)点数をつけない…とさぼる…“そういう者=不真面目で怠慢な者は、結局自分が損するのだから放っておけ”などと言うのでは、冷たく突き放しすぎると思う。…世界史の必要性を十分納得しない者にも…半強制的に課していかねばならない…“アメとムチ”(点数主義)が要請されています。文部省指導要録と検定教科書そして受験という外からの制約があるから(思うようにはできない)…

…などとやったのだから、当然コテンパンにやられます。M・Mさんからの返信-「…自分の立場を擁護するために文部省まで持ち出す人間に何を云ったってし方ないのではないでしょうか?…私が先生の文章を読んで一番強く感じた事は、先生もすっかり「教師」になられたのだと云う事です。ここで私が一言云っておきたいのは、私には先生から「友達同士」などと呼ばれるのは非常に不愉快だと云う事です。何故なら私は「教師」の友達なんか欲していないのですから。もちろん大人でもありません。大人だとか子供だとか或いはその他一切の私をワクにはめようとする言葉は全て拒否します。そしてあの文面は私にとって醜悪そのものでしかなかった…はっきり云って私は先生に…何て云えば良いのだろう、期待していたのではないのだから、失望したのでもないし、いや、やっぱり期待したのかな。東大斗争のさ中にこの洲高に来られたと云う事に対して。しかし考えてみればこの事自体おかしな事だ。」

 M・Mさんからの便りで指摘されたことは、実は3つあったのです。その内の2つ、即ち、文部省の指導要領で自分を正当化する(国家権力をカサにはきないまでも、言い訳に使う)ことと「東大斗争を傍観した」ことへの非難や失望というものを背負って神奈川に帰って来ました。しかし、もう1つの指摘-それは、国家や学校・教師が権力であるだけではなく、教育そのものが権力である…のに-についての無自覚、無意識、無責任さが教員人生(特に全日制の13年間)の根底に伏流としてあったのです。いくら国家や学校という権力と対抗しようと、生徒に近づこうとしても、教員は教員(権力者)であり、教育をする(権力をふるう)しかないということ、言わば、その宿業(原罪)を背負いつつ、どうするか、というのが第3の問題です。

 そんな気持ちで茅高に来たのですが、最初の1、2年は“受験教育”こそしなかったけれど、それなりに、日本史も古代からやり(!)色々なテスト等もふくめ、策をつくし情熱的にはやったので、それだけで結果的には、十分受験にもプラスになっただろうという感じでした。それに対する反応は次回にゆずるとして、ここでは、当時の茅高3年生の雰囲気を伝えるべく、配布した(!)答辞(2つ!)を紹介しましょう。先日-11月1日にその時の3年生の同窓会に招かれ、38年ぶりに、56才の卒業生達にまじって、楽しいひと時をすごしました。その時には会えなかったA・KさんとS・Sさんによる答辞を後日の手紙とともに載せます。

 

 

 

 

   答辞 その一

 

 今、ここに私達295人の歴史は、恐ろしい程の勢いを上げて燃え続けている。それは、18年間というわずかな時の流れかもしれない。しかし、ひとつひとつメスを入れれば、おそらくこの空間を埋ずめてもなお余りある程の要素を含んだ「生命」の証(あかし)なのです。ここに私達卒業生は、「生きる」ということを感慨をもって叫ばねばなりません。この瞬間、ポイントに立った私達自身への戒めとともに、「生きる」ということへの再認識を叫ぶということは、貴方がた在校生への可能性の期待であるばかりでなく、やがてはそれが、新しい茅ヶ崎高校を生み出すことにつながるであろうという思惑でもあるのです。そして又、この広い世界の無数の人間の中で、茅高というひとつの媒介により出合うことのできた宿命的な同胞ともいえる貴方がたに、こうして何らかの形をもって拙(つたな)い言葉を残すことが、この偉大なる宇宙への、ささやかな青春の抵抗となることを期待するからであります。

 私達は、入学以来の三年間を確かに生きてきましたが、それは同時に茅高生として生きることでもありました。ところが正直言って私達の多くは、今ここで茅高との明らかな接点を提示してみせることはできないのです。なぜなら私達は茅高生である以前に個人だったのです。私達がこの学校の主体となるべき時期には、アンケートをとっても、用紙のほんの一部しか戻ってこないような-空席の目立つ上を紙飛行機の飛ぶような総会-徹底したエゴイズムや、三無主義なるものが充満していたのは確かです。マンネリ、マンネリと騒ぐこと自体がマンネリズムに流されるような気配も感じられましたし、誰もがそういうものを見て、聞いて、ウンザリしながらいつの間にか自分もそこに加わっているという悪循環が横行していたのです。ロングホームの時間には、学校問題を討議する代わりに、当然のように参考書を開き、規約改正の承認には早々と下校し、予餞会も謝恩会も拒否し、事実肩書きだけの茅高生であったのです。大きな組織としての茅ヶ崎高校はもはや消えかけてしまったのです。

 たしかに、それでも充分間にあいました。有名無実の生徒会でも、マンネリの文化祭でも、黙々と登校して黙々と下校するだけの高校生活でも、極少数の仲間と交す言葉だけの高校生活でも、しらじらしくも、より良い学生生活を考えるなどという欺瞞(ぎまん)は捨てて現実に向かうだけでも、日々は成り立ったのです。

 しかし、それが私達の望んだ真の高校生活だったのだろうか?それが三年という時間を費やす方法だったのだろうか?茅ヶ崎高校はいったいどこにあったというのだろうか?

 けれども、茅高はいつだって私達の心に存在していたのです。クラブ活動には、指一本触れなかった者、生徒会の存在など全く無視してきた者、ホームルームでは一言の発言もしなかった者、遅刻や早退で出席簿を埋めることに生甲斐を感じてきた者、校則違反を重ねた者、友情を信じなかった者、自分以外の人間とは協調しなかった者、赤ばかりをとっていた者、茅高へ来たことを嘆いていた者……そんな様々に勝手な生き方をしてきた私達でも、三年という月日は、茅ヶ崎高校という存在は、ひとりひとりの心の奥に燃え続け、着々と歴史を作りながら、真剣に生命を食(は)んできたのです。例え、大衆の陰にかくれて口をつむぐお互いでも、対話の中では一個の生き生きした人間そのもので、悩み、怒り、恋を抱き、人知れず涙し、計り知れない程の心を潜ませていたのです。だからこそ、キャンプファイヤーに照らし出されながら肩を組んで涙ぐんだ時、ぼんやり午後の授業を受けながら蒼天をみあげた時、ボールを追ってグラウンドいっぱいに走った時、いつだって私達は、軀(からだ)を通して知らず知らず茅ヶ崎高校に触れていたではありませんか!そして、そんな時、そこには嘘も虚偽もかなぐりすてた赤裸々な自分が存在していたのです。

 私達は、茅高を無視し、反発を繰り返してきました。ひとりひとりが茅高を思うささやかな炎をもちながら、それを一本の灯にすることを忘れていました。その偉大な明るさを知りながら、泣くことだって、恋をすることだってできる自らの若さを感じながら、こそこそと自己満足のかげに身を潜めていたのです。茅高生としての青春の三年間を捨てようとしたのです。しかし、それは結局、自らへの欺瞞や、見当はずれのエゴイズムにすぎなかったのです。なぜなら今、卒業しようとする今になって、私達はあふれ出す茅ヶ崎高校への愛情を否定することはできないのです。平然と立ちつくす私達ではあっても、おさえようのない熱いものが心をぬらすのを感じているのです。今、母校へ対して、私達自身の三年間の追想へ対して、誰もが純粋に泣くことだってできるのです。

 

 貴方がたは、グラウンドの一隅から、新校舎にのぞんだことがありますか?そこには、カーテンが閉まっていたり、開け放されていたりする無数の窓があります。そしてその向こうには、さらにたくさんの顔があるのです。黒板にむかう先生、机の間を散策される先生、そして答えている生徒、笑いさざめく生徒、いねむりをしている生徒。ソプラノの流れてくる音楽室が在り、書物のやたら積まれた職員室が在り、破れた掲示板のはってある教室が在り、何もかもが一体となって、そこに紛れもない茅ヶ崎高校のいきづいている全景が展開されているのです。一人ひとりの心臓をのみこんで、大きな茅高の鼓動が聞こえはしないだろうか?私達の生命と同時に、茅ヶ崎高校の生命も存在してくるのです。だからこそ貴方がたも私達も、もう一度「生きる」ことについて、考える必要はないでしょうか?

 

 私達の経てきた三年という歳月、1095日、94608000秒、その一秒毎に生命があり、どの一秒さえもきらきらした真実の一瞬だったのです。その一瞬が集まって一日を作る。空しさにいらだった日、涙した日、激しい情熱を感じた日、そういう様々な日々が高校生活をなす。その高校生活こそ、青春の明らかな断片であり、そうして青春時代は人生の確固たる断片であるとしたら、人生とは一瞬という宝を寄せあつめたモザイクにも似ていて、そのひとかけらひとかけらでは意義も価値も計れはしないが、ふとふり返れば、いつの間にか一つの作品を成しているのだとしたら、私達は一秒だって無駄にはできないのです。生きているどの一瞬も見つめなければならないのです。すべての生徒の手で、茅ヶ崎高校に最も強い生命を与えるというそのことが、貴方がたにはより大きな生命の実感を与えはしないだろうか?!

 

 もう一度考えて欲しいのです。

 「生きる」ということを。

 茅ヶ崎高校生としての青春を。

「生きる」、それは、今、卒業という出発点に立った私達にも、いえ、生命を与えられたすべての者にとっての永遠のテーマにもつながるはずなのです。

 

          -完-

 

 

 

   答辞 その二

 

 私の胸中を去来するものと言ったら後悔の思い出ばかりである。大きく分けると二つある。一つは私達には連帯意識などというものが全くなかったことである。今まで私達は自分達の存在について考えたことがあっただろうか。自分が茅ヶ崎高校の基盤であるかけがえのない歯車の一つであるということを考えてみたことがあっただろうか。もっと以前に自分の存在に気づいていたならば、もう少しましな高校生活がおくれたのではないかと思う。ホーム・ルームにおいては活発な意見が次々と飛び出してさかんに討論され、生徒総会にあっては定足数に満たないまま会を開くこともなかったであろう。体育祭のような学校外からも見物にくるようなものにおいては見物者に茅ヶ崎高校のまとまりの悪さだらしなさを知らせなくて済むし、見に来てくれた友人に対してもかたみの狭い思いをしなかったものだとも思う。私達の心のどこかには常に自分ひとりが欠けても他の誰かがどうにかしてくれるという気持ちが潜んでいたことを認めないわけにはいかない。

 二つ目は、私達はあまりにも事なかれ主義に徹していたということである。そのためか私達は先生に対しては勿論のこと友達との間にもあまりにも厚い空間が生じたのではないかと思う。信ずる者は自分だけであり他人が何を言おうが無関心であった。それどころか自分自身をも裏切ってしまうことさえあった。今日のホーム・ルームで私はどうしてこう言わなかったのかとか、又こう思いながらもなぜそう出来なかったのだろうかとか、先生に授業内容について言いたいことがあったのに言えなかったと後悔することが度々であった。それでも今度からはああしようこうしようと思ったりもしたが最後まで実行が伴わなかった私なのである。最後にはその後悔でさえ感じられなくなった。私達は完全なる事なかれ主義の崇拝者であり、見ざる言わざる聞かざると同じものと化してしまったのである。なぜ私は自分にさえ忠実に生きてゆくことが出来なかったのか。それは何もしないでいることが自己防衛の最良の手段であると思えたからでなのである。自分がこう発言したことで友達は自分のことを何と思うだろうか、こうしたら先生や世間の大人たちはどんな目で自分を見るだろうか。そういう考え方がいつしか私を事なかれ主義にさせてしまい不合理な常識を打破することを不可能にさせてしまったのであると思う。今やここでの三年間よりもっときびしくつらい生活が始まろうとしている。そうした複雑な社会では事なかれ主義が無難で安全なことであることを私達の誰もが知っている。なぜなら事なかれ主義は自分も傷つかないし他人をも傷つけることがない。ないよりも、めんどうくさいということからかけ離れている。めんどうなことが嫌いな私達にとっては、もってこいの道ではないか!しかし私達は事なかれ主義では本当の自分にめざめることもなく、味もそっけもない平坦な道をたいくつしながら歩かなければならないことも知っている。だから傷つくことを恐れて何もしない今の自分を捨て傷つけ合いながらもそこに何かを見つけようとする生き方をしようではありませんか。

 

  

 

  A・Kさんの手紙

 

2/22. 3:00AM終了。

読み返すと、羞恥心で死にたくなることまちがいナシですので

書きたてのままお渡しいたします。

ねずに考えたわりには結局アマスギル文章でした。

心アマリテ言葉タラズ云々という文句をしみじみ思い出します。

 

心のあまっているのは確かです。

不覚にも書いてるうちに、涙がでてきてしまいました。

オンナ(?)の感傷なのでしょうか……?

 

O君から頼まれた時には、他人事なのにマア、なんて思って

しぶしぶ文字をつらねたのですが、

書いていきながら、ものすごく血が騒いで

たくさんのことが頭中かけまわったのでス。困りました。

内省だの自己闘争だの、茅高へのノスタルジアだの……

みんな私自身の内なる叫びです。それも、私自身へ向けての。

エゴな文なンです。

まったく、エゴの先端三無クンの先端をいった私なのに、

今さら、どうのこうの、なんて。

だけど茅高がすきだったんだナァーってわかったのです。

すごいメタメタ生きてきたけど、

やっぱりものすごく気にいってたんだって思って、

また泣きました。

オンナ(???)の感傷です。

それでも、みんなに、いえ一人でもいいから、それを、ひどく

解ってもらいたくなったのです。自分の内側へではなくて、外部の

誰かにむかって叫びたくなったのです。

 

それは、答辞を書いてから始まったことじゃなくて、先日、

S先生から、新聞の原稿を頼まれた時に、すでに

モヤモヤしていたのです。

それを600字以内なんぞといわれて、もう無理なことがわかって、

チクショー!!!と思って、ひどいこと書いてしまったのです。だって600字で書けるくらいなら

そんな中途半パ、やめちゃいたいですよネ。

それで、なんとなく、こんどのを書き出したら、

もう、言いたいことがゾクゾクゾク……あふれてきたのです。

本当は、卒業生でも、先生でも、在校生でも、誰でもいいから、とっつかまえて、

グチって、この心、解ってもらいたいくらいです。

いつだって、とりとめのない、嘘くさくって、キザッぽい言葉なんかが

心にあって、あぁ!なんぞと思うと、ものすごく心の外へ放り出したくなるんです。

それで、かまわず言っちゃうと、心は空しくなって、カラカラ淋しくなって、バカだなあって、

自己嫌悪にかられて、死にたくなります。ホントです。

それも、相手が二人以上だとかになると、絶対のらなくて、

対話というものを使わないと、いくじなしなのでだめなのです。

つまり、複数だとむずかしいけど相手がひとりなら、まるめこめるかもしれないでしょ?!

 

ああ、こんな変なこと書くなんて、(それも先生に)やっぱり夜ふかしのせいなのです。

オッカシインダナァ…

 

もし、まんがいち、この文章をおつかいになることがあるのでしたら、

できるだけ分解しないで下さい。他の文章とまぜるなんていうのでしたら、ボツにして下さい。

これは純粋なきもちです。

 

でもくだらないので、先生の御眼にとまる段階で止めておいたが、

よろしいかと存じますゆえ。

 

やっぱり、三年間というものの貴重さを身にしみて、ものすごい心境なのです。

とても孤独を愛したいという、俗なきもちです。今となっては。

大衆を意識しすぎオノレを意識しすぎ、半狂乱の生活をおくってきたからです。

虚偽におぼれすぎ、ついた嘘にうずまったので、どうしようかと考えているのです。

すべてをマッサツするには勇気も、純情さも、もちあわせがありません。

いったい、私に真実など、在ったんでしょうか……

男なら、旅に出ます、。こう、風なんかが限りなく吹く草原です。

草の波が、いくつもいくつも、果てしなく生まれて、そして、空と、背丈くらいの草の穂と、

あとは風ばかりで……

 

などと、やっぱり神経衰弱の気があるのでしょうか?

どーも、いけませんネェ。

もう、学校へは、顔を出さない方が、いいようです。

失礼いたしました。

 

   乱れた「答辞」へのオワビまで。

   駒崎先生                          A

 

 

 

   S・Sさんの手紙

 

期待の新人 駒崎亮太様

 今日 暗い道を歩きながら とうとうやったんだという満足感で胸がいっぱいになりました。SさんやMさんも同じ気持ちだったと思います。ここまで くるのに 何度 振り返ったかしれません。そのたびに これでよかったのか?静かに卒業式をむかえた方がいいのではと くり返しくり返し自分に問うたり、又 他のどれ位の人が こんなこと考えているだろうか こうして 何の効果があるというのだろうかとやめてしまいたくもなりました。でも今ではやって 本当によかったと思っています。たとえ 読んで本当に理解してもらえたのが 全体の1/4だろうが1/5だろうが 今 私は 自分をのりこえて(ちょっとオーバーかな)一つのことを最後まで成し得たという満足感でいっぱいなのです。外見上は 答辞を印刷して生徒に配るという単純なことでも それまでに いろいろな問題がでてきて心の葛藤に悩まされたりもしました。あまりのめんどくささに 先生方の好きなようにしてもいいとも思いました。でも駒崎先生をみてて 考えさせられちゃいました。自分達のことなのに 先生が一生懸命考えてくれて 私達は 楽な方 楽な方へともってゆこうとしていたんです。

ここまでもっていかれたのも 先生のおかげだと 思います。私達だけだったら ここまで これなかっただろうと思います。先生にひっぱってもらって ここまで こぎつけたという感じです。卒業まぎわになって 答辞のことからはじまってものごとの意味とか意義とかについて考えたり 自分の無抵抗の青春にめざめたりしたことは 一方では残念です。…これからの生活で 自分自身 どれだけこういうことを 実践しえるかは不安です。むしろ またもとの「なるがままに」生活する自分にかえってしまうのではないかと思うから…。しかし 反面 卒業まぎわに 答辞の問題からはじまって いろいろ考えたあげく 答辞をプリントする という行為を生みだしたことは 私にとって 高校生活の最後の思い出として 強く 胸にきざまれているだろうと思います。三年間 実行の伴わなかった私にとって素晴らしい思い出になると思います。

いつまでも 今日のような気持ちでいられたらと思います。

 

いつか 先生は 人間は弱いものであって 宗教とか 主義が人間を強くかえてしまうとおっしゃいました。そしてそれは信じるも信じないもなく 何の抵抗もなく ひきいれられてしまうものであると。それも真実であると思います。でも それだけではないと思います。先生が いうように 人間、皮をはいで 裸にしてしまったらそこには何もないでしょう。性格的なつよさ 即ち はじめから人間に付着している 強さはないと思います。でも知らず知らずのうちに“底力”という感じのものが備わってくるのでは?それは環境とか?…何か目にみえない巨大な力が左右してできあがる? 今日はないけど明日になったらでてくるような 強さじゃなくて 雑草の生命力みたいな…。

私にはそんな力ないけど 先生には 主義とか宗教による強さとは別にそんなはっきり説明できない強さがあるのだと思う。職員室の中でも敵(こういう表現いけないのですが)が多いと思いますが 頑張って!! 私も判断の規準の定まっている先生の境地に達することができていないので いつも フラフラ…ふりかえったり…立ち止まったりの連続だと思いますが 一生懸命 私なりに考え(ここまではできる自信あり)頑張ります。(ちょっぴり?自信ないナァ)最後に 先生が何でも破壊してしまうといったこと 撤回します。先生の破壊は意味のある破壊と信じています。

     本当に ありがとうございました。

         2月27日

            ブツブツ・フラフラのS・Sより

 

 

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