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僕がナゼ「茅高を悪くした」と言われるようになるのか  -7-

 

           僕はナゼ「茅高を悪くした」と言われるようになるのか  -7-

 

                                          駒崎 亮太 

 

 僕が「茅高を悪くした」と言われ続ける根拠は、非受験体制と反管理主義の方針に固執したためだろう、と見当をつけてきたのですが、史科的に(?)ふりかえってみると、‘70年度の生徒の皆さんの感想では、僕は、受験を無視はしていなかったようです(記憶はもう、「ようです」という段階です)

例えば当時のT・Tさん曰く

「しかし、リョウタを除いてあとみんな、先生が悪い。適当にやればいいという感じがする。リョウタだけが受験体制をしているように思われる。リョウタたまには、入試の事など少し授業をつぶしてまでも、何か、自分の経験談なりを話せ。そういうことも必要だと思う。今のリョウタは、ただ日本史のことだけ、もっと広い意味で入試と言うものを見て、いろいろおしえろよ。」

これを見ると、少なくとも70年頃さらに‘70年代前半は「受験用授業をしないことで『茅高を悪くした』ということにはならないようです。(生徒さんの声も、そういうものは少なく、いや、底流、無意識下にはそれがあったとしても、主調は「偏っている」か「おしつけ」でした)では何か?どこに「茅高を悪くした」と言われるようになる危険な(?)要素があったのか。4人の生徒さんの感想から想像してみて下さい。その頃は僕の対応が鈍く追いつかなかった例(例えばOさん)を最後に加えておきます。僕が、気持的には「教師らしくなくありたい」と思い、いや応なしに権力者=教師であることに、数年は気づかない(ふりをした)ままいい気になっていた背景が見えてくるでしょう。

 

P.S 僕の知っている最も古い時点での「悪くなかった」茅高というもの- いや、多くの当時の日本の高校の姿を位置づけておくため、ちょっと長くなるけどよろしく。

 

 

 

 

つい最近、ある女子(茅高生)に僕は先生の事について話しました。

“教師と云う職業に恐怖を感じる。なぜって教師が生徒に与える影響が大きいから。もし教師がアクの強い人間だと無知な生徒はすぐその色に染まる。思想的にも行動に関しても。

それだからこそ教職(僕のキライな言葉)にやりがいを感じると云う人もいるだろうけどネ。

ところで駒さんだけどネ。あの人なんで先生になったのカナ?

これは僕の推測だけど。

日本人って云う人間はひとりひとりの思想がしっかりしてないだろう。上部のいわゆる支配者に牛か馬みたいに教育されてなにが正しいのか悪いのか知らないで行動してきたでしょう、支配者のつごうの良いように。もちろん一部の人はそれに気がついてその人なりの思想を主張してきたけどなんか支配者に圧倒されちゃっていつもしり切れトンボみたいになっちまう。口家(何か変だナ)の機構と学校の仕組と似ていると思うんだ。教師は支配者、生徒が人民。

支配者に当る駒さんはごく民主的(ごく民主的ってナンダ)に生徒たちに日本人(日本人と云うより人間)の正しい有り方や思想を吹きこもうとしているのじゃあないかナ。

あの人が右よりなのか左よりなのかは知らないけれどやっぱり頭が良いネ。

支配者(教師)になれば権力がある、生徒にウンともスンとも云わせないで古今のムジュンをつきつけて‘さあ考えてみろ’とやる‘考えるのがイヤなら出て行けその代り欠課だゾ’とやる。

イヤでも居なけりゃァ欠課だそうなると卒業が心配だ。だから仕方なく教室にいる(ど~すりゃい~の~さ しぃ~あ~ん~ば~し)

そうする事は街角で大声でドナッて通りすぎる人に古今のムジュンをなげかけるより効果的だ

一年間の間いつもムジュンに接っしているとバカ(無知な奴)でも考える。これほど強い事はない。

駒さんは同胞を作ろうとしているのじゃあないかな。

同胞と云うのが悪ければ人間としての意識に目覚めた人間を作るためと云えば良いか

ともかくあの人と同じ様な思想をもつ人間がふえると云う事は

それだけ大きな力になると云う事で、それはつまり体制(悪い意味の)を変えるものになると云う事なんだナ。

そう云う理由であの人は生徒に対して力のある教師と云う地位を選びそれを自分の思想のためにフルに活用しているのだと思うよ

変な話しだけど、駒さんは雑誌の会社だかに務めた事があると云っていただろう。あれも本と云うバイタイを通して自分なりの考えを多くの人々に伝えようとしたんじゃあないかナ

でも何人の人が買うかわからない本よりも確実に一年間に二百何十人と云う人間と接する事のできる(彼が権力者として対せる)教師に変えたんじゃあないのかナ。“とまあこんな事です。

僕はそれが良い事なのか悪い事なのか知りません。しかし先生がそれを正しいと信じているのなら、そのまま進めば良いでしょう!!

話しは変わりますが僕は今これからの人生の間に何とかして力(地位・富・人徳・協力者)のより多くを得ようと思います。

僕が何をするにもその力が(その力のより多くが)僕をたすけてくれると信じているからです

“力のないものは敗れるのみ、そして常に笑うのは力あるもの”

そうではないでしょうか?

いくらりっぱな主義主張を唱えても“我身可愛いや”の人々の中ではしょせん焼け石に水、あってなきがごときもの

やはり力を同時にもつものでなくては、先生もそう思ってんでしょう。

 

(もしかしたら雑誌の会社は“そんな事書いちゃあだめだ”とかなんとか云ったか云われたかしてやめた(首)のではないの)

Fの駒崎亮太と云う人の見方(見方でなくて何んて云うんだ)

 

(F・K

 

 

 

 

 

 

 

「俺が先生と初めて合った時、東大出で茅高にくる(高校の教員になったこと)なんてよほどのやつだろうと思った。(良いか悪いか?).そして一ヶ月ぐらいたった後先生の闘志には、頭の下る思いがした、と同時に絶望していた茅高生に対してもう一度何かやらせてみようという気がほんのちっぴり起こってきた。生徒会ももう少しだからてきとうにやろうと思っていたのが何か一つ位やってみようとも思った。でも先生と話していると、自分の無知無能というものをじわりじわりと感じてきた。そして、顔を合わすたびに自分の愚かさを、一つ又一つとさらけだされていくような気がした。そして俺自身も不断・無気力だ、日和見的だと批判してきたやつと同じだということに気づいた。そして社会にも先生にも俺自身にも負けた。俺みたいな負け犬がすることは哀れな、叫び声をあげしっぽをまいて逃ること位しかできなかった。こんな俺に何か言えというのはちょっと酷だぜ。これはひにくでも何んでもないが、先生にとって茅高や俺は価値観のわからぬ馬鹿者の集団にすぎず、先生の力は俺たちの中ではスプーンいやひしゃくであって耳をかくにはあまりにも大きい無用の長物(これは当っているかわからないが)でしかないようである。

俺もおちぶれたもんだ!こんなことしかかけないんだからな…。

俺は先生質問に一つこたえるから先生も一つ答えてくれよ。

俺の質問とは「平和とは?」

先生の文の中に「押しつけるって何んだろう。というのがあったっけ.俺も本当のことはわからないけど.少なくとも34HRでは無気力な者に何か一つでもやらせようとすることだと思う。俺をふくめて34HRの馬鹿どもには少なくとも当っているであろう。そしてさらに悪いことには、「何か」を明示しないで何かをやらせようとしても同じことのように思うだろう。そして自分たちの無気力さを責められるとすぐに押しつけだなどと言って自分をこまかそうとしている。本当にみみっちい人間どもである。

ここで一つ提案がある。先生は一年の担任になってはどうだろうか。そして3ヶ年計画で先輩から受け継いだものぐさ的な考えを排除したらいいのではないだろうか?茅高の三年のような目先のことにしか関心がない連中には何を言っても、馬耳東風、猫に小判。結局むだなのだ。そしてひとりでもふたりでも俺についてくる者がいればいいなどと小さいことを考えず同じ少ないのなら多くの人間つまり茅高全体と少しでも良くしようとつとめるべきだと思う。

こんなことばも白々しいというか何んとも言いがたいががんばってやってくれよ!

色々ふざけたり、あくたいをついたりしたけれど本当は先生いや亮太についていきたかったよ!

今になって思うが.あの悪ぶったりふざけたりした行為は己のいやしさをかくすための行為にすぎない本当に恥ずべき行為だと反省している。本当にすまないと思っている。

こんな俺を笑うなと言ってもむりかもしれないが一生のうちの1970年を俺も忘れないから亮太もおぼえておけよ。

俺からの餞別が何んだかざんげになってしまったようだ

淡路島の可愛い子と亮太の未来のwifeによろしく。

そのうち会わせろよ。                                                          1970/12/24(T・Y)

 

 

 

 

君から僕への餞別

「がんばれ亮太!俺はこの時のくるのを待っていた 今までこのチャンスがくるのをずぅーっと待っていた おめぇみてぇな野郎の出るのを6×6首にしていたうすきたねぇ野郎がここにいるんだ

これから書くのはおめぇの餞別なんかじゃあねぇかもしれねぇ まぁ聞いてくれよ

俺はよく何ん悩みも苦労もなくやりてぇことやっていると思われる。心の思ったことを好奇心にまかせて善悪何んのためらいもなくやっているように見られる まぁ無理もねぇ当然のことだから

先生のことばを借りていうなら俺はまず「世界の平和」に目覚めた そして「偏見」に目覚めた時 俺は果たしてこれらに体を張って対抗できるかって考えだした。3年前のことだった。その頃の俺は腕力だったら誰れにも負けなかったが度胸がなく純情な無能・無反抗っていうのか あれだった できるけんかも恐くていつも妥協してばかりいた  だから俺は色々考えたけどそのころ一歩足を歩み入れた裏街道にそれらの解決を期待した 縁のあるYokohamaで俺はぐれはじめた

そして一年過ぎ一さつの本が俺の心に先生のことばでいうと「片すみの小さな幸福」と組織に対する反発を教えてくれた そこで俺は底辺である所の裏街道で汚された俺を何かの形で俺の中のいくつかの反発の為に利用することを考え裏街道一直線で忘れかけていた小・中学時代の俺に新しい俺をプラスすることにした そして ある程度 ほんの少しかもしれねぇけど『命より魂をだいじ』にできる人間に近づくことができた。口さきばかりたっしゃで無能ながきどもをたたきつぶし、どうにかしようと考えほんの一部だけやってみた。日和見主義のチンピラ学生や底辺の生活をするチンピラ共も少人数だけど同調する奴も出た。そんで三年になった俺はそのチンピラ共と別になってそいつらを遠くでみる積もりでいたけど その中のほとんどがまひした現在に負けていったみたいだ 俺はまた進み始めた俺にそれだけの器量がなかったことを反省しながら…

しかしこの9月俺は自分を振り返った時、俺は自分にポッカリ穴があいていることを見つけた それは 今の世の中に反発しながら行動していたけど俺も一人の偽善者にすぎなかったことだ。俺のしていたことがすべてまぶかっていうとそうじゃあない偽わりだった。現在生きている人間はすべてストレートなものにしとそうでないにしろみんな偽わりだ。先生のしていることだって考えていることだって偽わりだろう それとも違うかな 違うな 俺だけかもしれない

俺は弱い弱い人間だから、裏街道のブルースやその生活で汚れて、さげすまれて底辺に落ちた時、俺はずぅーっと上の方をながめた、そこには美しい生き方がたくさんあった

それに近づこうと努力したけどそれは偽わりだって気がついた。たんなる俺の美的センスにすぎなかった 感傷かもしれない そしてその坐折はもうはい上がる余地のない強いものだった そして俺はあることを決心した しかしそれは何日たってもできなかった

俺は自分を救う最後の道さえも進むことさえもできなかった またその決心はあるいは最後の自分をためす勝負だったかもしれないが俺はそのかけひきさえにも勝てなかった。

俺は大義名分並べても結局は弱い人間だった そしてその敗北感は俺に一生つきまとう最大のものだ

現在生きている人間は生きている人間は死ぬことのできない敗北者であるかもしれないがその中でも俺はもっとも弱いだろうな

俺に残された期待はたった一つ裏街道で身につけた捨て身の根性(度胸)だけを俺の選んだ先生のそれと同じような道に最大限に利用することだけだ

俺は勉強が苦手だから学がないけど俺の少ない能力や残された俺のすべてをその方面にフルに利用したいと思う

俺は人間というものを全く信用できる人間じゃあないから先生も全部信用してはいないけどたとえ先生にだまされたとしても 俺は腹の中を素っ裸にしたことはちっとも後悔しちゃあいない 俺は今まで多くの人間に自分を隠してきたから その罪ほろぼしの積りだ

昔の俺と比べると裏街道は俺を少しだけどでっかい人間にしてくれた

ささいなことかもしれねぇけど、先生の言っていることをストレートに受けとって(すなおにだまされて)、こんな俺でも役に立つことがあったら教えてくれ、これは妥協でもない

組織に加入するんでもねぇ ただ先生はペテン(頭)が切れるから教えてもらうだけだ。それに俺の考えたことは弱え俺のペテンだけで考えたことだからあてにならねぇから

(それに先生に一つわかってもらいてぇことがある 俺が一時身を託した世界は人生の裏で底辺かもしれないけど上層のそこよりきれいな人間が多くいるよ それは確かだ ごまかされているんじゃあなくて まぶに。俺は裏の人間の方が好きだよ

それと中学時代はひどく純情だったんだぜ)

 

がんばってくれ先生!俺もなげやりの捨て身の根性でがんばるよ できるだけ それとまた先生ん家行っていいか?行くからよ しかとくれて 卒業できたと仮定して、その後も。

P.S おそれ多くも先生に対しておめぇだの乱文をおわび申し上げます(乱筆はおたがい様だからあやまんない)

 

(R・H)

 

 

 

④ 

   現在の問題と日本史と僕の考え

  現在の所、全く僕の心は無のような状態でそれ自体が、今の僕の考えなければいけない問題じゃないかと思いますよ。又、言うけど、僕は日本史の授業は聞かなくてもよい状態なので、日本史に関連づけて書けといわれても困ってしまうのです。今、考えてみると、何故、僕が日本史から逃げ出したかと言うとそれは、自分自身がまるっきり、中途半端でたいへんためになるという、日本史などは、とても受ける資格はないというのは嘘でありまして、ただ先生自身の第一印象があまりにも僕としては気に入らなかったからなのです。ものすごい、バイタリティとはちきれんばかりの若さ。よく大学なんという恐ろしい物体から抜け出して、あんな授業ができますね。僕は若さという言葉が大嫌いで、その象徴ともいうべき先生は僕の性に合わないのです。それに僕は連帯性とか協力とか、そういうのが嫌いで常に一人が好きなので、先生が心に秘めている連帯性が嫌いなのです。

 僕はこのところあまり、目立たなくなりましたが、やれ、体制だ反体制だ、学校改革だ、紛争だというのは大嫌いなのであります。何故かというと、皆がやっている事は、あまり気が進まないのです。自分だけの意見だけを持ちたいのです。といって、僕は反ぱつするのは大変、好きなのです。僕は常に自分自身に反ぱつを感じています。自分で自分がわからなくなることも、しばしばあります。

自分だけの主張を持ちたいのですが、自分というものがたくさんありすぎて、その個々が違う主張を持っているので、本体の僕は本当に迷ってしまうのです。ですから、自分の信念というものが決まらない現在、自分では何もすることができないのです。現在、耳にはいったり、目にうつるものが、あまりにも多すぎるんです。

 日本史の授業自体はすばらしいとまではいかないにしても、聞く価値は他の授業より、たぶんにあると思います。日本史というのは確かに、現在の社会の問題と共通な点もあるし、参考にもなるでしょう。(もっとも、僕にはわかりませんが。)ただ、僕個人としては、あやふやな自分の心にいろんな新しい出来事や事実をつめこまれると、とても堪えられない状態に落ち込むと思うんです。

 もう僕の心はふわふわ浮いているんです。何かをやりたいと思い続けてるんですけれど明日になったら、又、心に変化が生じて、先生におおいに共鳴するかもしれませんね。

 話は変わるけど、今の所、一番、現実的であり、挑戦的な授業は日本史だけじゃないかと思う。現在の風潮にものすごく、合ってると思うけど、もう、今は何をしても、結局は何にもならないよ。それまでの過程において努力するのは、かっこいいけれど、自分自身がボロボロになるよ。もっとも、僕自身、そうなりたいと思っている状態なんだけど。

(K・O)

 

 

"僕がナゼ「茅高を悪くした」と言われるようになるのか  -7-"に2 件のコメントがあります

  1. コメント from kyoko:

    こんにちは〜。

    たまたま辿り着いて、駒崎さんの記事が面白かったので
    ペタ(足跡)つけさせていただきました。

    両親や友人が教員やってるので、
    教育関係の記事は無意識に読んでしまいます。
    古い友人が、いま茅高で教員をしており。

    駒崎さんの記事、続きを楽しみにしてます。

  2. コメント from ayumi:

    前回の答辞しかり、今回の’70年の茅ヶ崎高校生の生声に感心している。
    豊かな感受性と表現力をもち、悩みながらも自分や学校のことを見据えている。

    わたしは、この10年後の茅ヶ崎高校に在籍していた。
    駒さんの授業は衝撃的だった。内容の理解はできなかったが、社会はいろいろな角度から見るものだということを知っただけも有益だった。

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