駒さんの『僕はナゼ 8』
僕はナゼ「茅高を悪くした」と言われるようになるのか
駒崎 亮太
「茅高が悪くなった」頃という話は卒業生に会うとよく言われるのですが、それは一体いつ頃なのかよく分らないのです。僕は83年4月に湘南高校通信制に転勤させられるのですが、その年に3年になった僕のクラスの生徒さん達は、クラス会の度に各々その頃を「悪かった」とは言いません。とすると80年代半ばくらいからでしょうか。「茅高が悪くなった」そして「駒崎が悪くした」と言われるようになるのは。
「悪くなかった茅高」はどういう状況だったのか順に見ていきましょう。「悪い-良い」の構図が見えてくるでしょう。
僕は、日本史、政経を中心に3年生を担当しました。70年の3年生は、皆が自信喪失で自己嫌悪、生徒相互不信と教員不信。その頃日本中の高校生達の間で言われた、三無主義(無感動、無関心、無責任)とか四無主義(プラス無気力)に染まったり抗ったりしていました。
71年は体罰事件-パワハラ、そしてセクハラで揺れました。馴れて来た僕は、授業をつぶして学校裏のレンゲ畑や海岸まで散歩に行ったりしながら、皆と交流を深めていきました。そんな中で体罰事件が起きたのです。直後、「話し合いをするから授業をくれ」と言われることが続き、その延長で遂には日曜日に学校で緊急集会を持とうということになりました。しかし学校が場所を貸さない(!)ため、当日急遽駅近くの教会の敷地に集まりました。50人位いたでしょうか(当時のこと記録している人、連絡して!)69年頃から新卒の教員がふえていたので、そのメンバーも数人参加しました。白熱した議論が暗くなるまで続けられました。
その結果、「事件」とそれに対する生徒の声を全校に知らせようということになりました。そして僕が翌朝早く出勤し、教頭が気配を察し「早いですね…」などと何か言いたげなのを尻目に、職員室横の印刷室(現在の放送室)を占拠(?)して全校生徒分のプリント=「暴力とは何か?」を次々と刷り出し、始業前に、皆がピストンで次々と教室に運んで配布したのです。その内容は参考資料を読んで下さい。
その後が大変です。生徒は何も言われなかった(と思う)のですが、慌てた管理職や年配教員達が、職員会議で、こんなこと(プリントの内容も配布というやり方も)を生徒だけで考えられるはずがない、と僕や若い教員達を追及したわけです。問題の本質には一切触れぬまま-どこで印刷したか、まで…何と言われようとこっちは「蛙の面」でしたけどね。
実はこれには後日談(なのか?)があります。該当する N教諭が、卒業間際で未だ就職の決まっていなかったM.Oさんに「いっそ永久就職したらどうだ?」と声をかけた後、セクハラ的発言を続けたのです。彼女が僕に相談し、僕が(同期採用の同僚をかばうどころか)批判追求するや、今度は「担任(N教諭と同じ体育科)に相談しないで、駒崎のところへ行ったのはナゼだ、あやしい」という的ハズレな反撃があったのです。いやはやもうこんな調子の当時の教員集団でした。
こういう僕のありようはずーっと変わりませんでしたが、それが「茅高をワルくした」のでしょうか。
[参考資料]
暴力とは何か?
Ⅰ.事件の発生
7月12日4校時(体育の授業)プールにおいて24HRのI君はふざけていたためN先生に数回注意をうけた。
その時のN先生は感情が高ぶっていた。
そしてN先生はI君に対して2回バケツをほおった。
(N先生はバケツをほおったのでなく、たまたま落ちてしまったのだと言われる。)
2回目にほおられたバケツによってI君は額に2針も縫うというケガをおった。
- その後、事件はN先生と教頭とケガをした当人との間で、職員をはじめ生徒にも公表されないままに処理された。
Ⅱ.氷山の一角
生徒会執行部はこの事実を見て、全校生徒にしらせるべきであると判断した。
すなわちこれはI君自信の問題でなく、事件の背景にある奥深い根-学校全体の体制に関係することであると考えたのである。
Ⅲ.暴力とは何か
① 暴力と腕力について
暴力とは有利な立場の者が弱い者を納得させることなしに、自らの意思に従わせることである。
(話してわからないことが腕力でわかることなのか?)
例) ある生徒の間では、ことば以上に腕力が圧力でなく、後になって自分にプラスになるというが、一方では全面的に腕力を否定する考えがある。
今回の事件を公表しなかったことは暴力ではないのか?
[暴力とは腕力だけであるのか?]
② 私たちは本当に自由であるのか
例)・ 集会の自由について
日曜日に、この問題を討論するために学校という公共施設を借りようとしたところ、校長の権限で拒否された。
○ 私たちは、話し合うための場所さえ自由にならないのか!!
・ 表現の自由について
○ クラブ関係以外の指導は全て生徒指導部内監視下におかれている状態である。(掲示物の監視など)
・ 生徒間のグループ会誌の没収
・ 学級日誌にはその日のことだけを書かなくてはいけないということ。
(感情を入れるな!!)
・ その他
・ 2年女子の家庭科は選択にもかかわらず強制的である。
○ 家庭クラブへの女子の強制的参加(会費さえとられているのデス!!)
・ 生徒会は強制的であるがどう思うか?
・ 生徒会は生徒自らを守るためのものである。(抵抗権)
・ 女子のYシャツの禁止、体操着、水着の統制
・ 校内における個人的な発表会などの禁止
③ 教師と生徒は平等か?
・ 教師と生徒との間に自由な批判がありうるか?
“生徒を活かすも殺すも教師の胸先三寸にかかっている”という事実。
例)・ 評価でおどすこと “おまえ、そんなことだと単位やらないぞ!!”
・ 家庭クラブ会長、生徒会長は教師にとってうまくやっていると推薦入学に有利(?)であること。
◎ 教師が評価を握っている限り平等にならない。
<要求> 何とかならないものか?
評価をガラスばりにしてほしい→不審があったら生徒会へ
Ⅳ.教師の生徒観
“おまえ達はどうなんだ”、満足にやるべきこともできていないくせに教師のことばかり言って!!“といっている教師に対して満足なことというのは
予習・復習・まじめな授業態度・そして遅刻・早退・欠席・授業放棄がないことであるのではないか?
◎ なぜ授業を放棄すると文句を言われるのか?
“テストの点が取れませんよ!!”
しかし私たちが授業を全く聞かずに、良い成績をとる場合はどうなのか?
聞かなくても点のとれる授業をうけている私たち…………。
◎ なぜ私たちは授業を聞こうとしないのか?
・ 受験勉強を無視できないのか?
・ 生き生きとした授業の内容なら聞くのだ!!授業そのものに欠陥があるのではないのか?
◎ 今の教育がとても正常な教育とは思えない。
・ 私たちは劣悪な条件におかれているが、教師はそうでない。
・ それなのに生徒が教師を批判するのと同様に教師が生徒の欠点を責める。
・ ある程度完成していて、教える立場の者が未熟で教えられる立場の者に対して同じ立場で批判する。
・ できないのをできるようにするのが指導である。
できないからやらせないのか?
・ 生徒の自治力が弱く、手とり足とり充分すぎるほど指導をしてくれて私たちがやれないとわかり、やらせないというが、実際はやらせないからできないのだ。
・ 失敗してもやらせてはどうか!!失敗はマイナスにはならない。
・ 失敗を重ねて、できるようにさせるのが指導であるのではないか!!失敗するからやらせないのは規制である。
・ まず教師が生徒を信頼してほしい、それに応えてできたならば自信をもつ。
例 体育委員会・合同演奏会などの成功
・ 委員会など生徒だけでは失敗するから先生は助言してくれる。しかし議長が先生に助言を求めた時以外は発言してほしくない。
5年後10年後の将来の生徒の姿を考えられる教師になってほしい。
- 失敗できるうちに失敗したい、社会に出てから失敗したくない!
② 生徒は煽動されて動くのか?
・ O.Bや教師によって生徒が煽動されていると思っている教師。
・ 自らの足で歩こうとしている生徒に対して必要とする信頼を裏ぎる。侮辱(・・・・)ではないか!!
・ お菓子などで生徒がつられて集会に出席すると思っている教師 - あまりに失礼ではないか!!
◎ 私たちが一部の者(O.Bや教師)に煽動されるなどとは失礼だ!!
・ 私たちがすぐに煽動されると思っているから、生徒をばかにするような態度を教師はとるのではないか。
・ 私たちはすぐ周囲に影響されるほど甘くはないつもりだ!!
Ⅴ.私たちが教師と信頼関係をきずくための補足
◎ 校長及びその他の教師は私たちの呼びかけ、話し合いに応じてほしい!!
◎ クラブ顧問の希望制と同様、生徒会顧問も信任制にしてほしい!!
<要求>
・ 職員会議の公表 (☆このことは2年前の再確認事項であると思うが。)
・ 集会の自由
※ N先生個人を攻撃することでは決して学校全体はよくならない!!
生徒会
[ Flower ]
2009年2月23日 月曜日 カテゴリ:e-VOICE茅高
コメント: 0
トラックバック
Related articles
- 駒さんの『僕はナゼ 最終回』 (12月 1st, 2009)
- 駒さんの『僕はナゼ 12』資料編 (9月 16th, 2009)
- 駒さんの『僕はナゼ 11』資料編 (9月 16th, 2009)
- 駒さんの『僕はナゼ 11』 (9月 16th, 2009)
- 茅ヶ崎高校舞台の映画「海の上の君は、いつも笑顔。」 (4月 25th, 2009)
コメント投稿欄