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駒さんの『僕はナゼ 9』

僕はナゼ「茅高を悪くした」と言われるようになるのか -9-

             駒崎亮太

 ‘71年、茅高2年目に僕は、他の多くの先輩教員から、生徒を「教唆煽動した」かのように非難されたのです。僕としては「へえー生徒って煽動とかできると先輩達は思っているのか…」と涼しい顔でしたけど。後々から考えると「体罰事件」で教員のクセに、学校側に立たないで、生徒の味方(?)をする-できると思った-というのは、自分の教師としての権力性を隠す自己矛盾-欺瞞だったかも知れません。その際、生徒会(生徒は1人1人が全て生徒会)の取り組み=討論のために「つぶした」授業では、何をやりどう評価されていたのか、そのどこかに「茅高を悪くした」と言われるようになる要素が見出されると思うので、手元の資料にあたってみます。

 まず、‘71年末に教室で「1つの頼み…来年の3年生と僕のために」と題して、以下のようなことを問いかけました。

1.まずお詫び…正直なところ、経験3年目

 その上専攻でもなんでもない日本史(専攻は経済)の2年目、不慣れで下手クソだった授業で申し訳なかったと思う。人生の一番大事な時と言ってもよいような、1718才の時をつまらなく空費させてしまったのではないか、と心配が残る

2.特に、内職(他の教科の勉強、読書)や居眠りやエスケープを見ると、それが非常に気になっていた。それをやる当事者の責任もあるだろうが、ここではそれを言わず、自分の責任の問題として考えたい。一体、日本史の時間って何だったのだろう?つまらなく、下らなかったと思う人もいるだろうから、そういうことについて言って欲しい。

3.とり上げた内容やとりあげ方(方法)が一方的、押しつけで、自分の意見を言いすぎたというようなことを感じるかどうか?

9.やはり、受験勉強用授業の方がよかったか?

 どうやら、教員生活の初めから、神経質かつ傲慢に何が何でも全員に、聞かせ、やらせたがっていたようだし、それでいて思想、考え方の押しつけではないと言いたがっていた。一応古代からやったり、受験を気にしている生徒達のことを気にしていた様子がうかがえます。

 以下、当時の悩める考える高校生と僕(の授業)との交歓を紹介しましょう。僕がどんな授業をし、良くも悪くもかなりの影響を残し、若さを悩み生を考え時代を生きる高校生と人生の一時を共にした足跡を見て下さい。

先生の授業はいつもキョーレツだった。いたいところばかり、つつかれた。でも、いろんな事 おしえてもらったと思う。

いままでの悪いくせが少しなくなったかもしれない。

私にとって 日本史の時間は ただの日本史の勉強じゃあなかったみたいな気がする。いろんなプリントで、いろんなことを知り、自分の生き方を考える時間ができたみたい。

政治・経済中心だったと思う。押しつけだったかもしれないけれど、私たちは、押しつけでなければ、何もやらないと思う。何に対しても無関心だったから。先生の意見はチョット強かった。

(K・Hさん)

日本史 一年間日本史として授業を聞いたような記憶は残ってないが、  

現在、日本がかかえている多くの問題、社会的世界的な立場 多少ながらも先生が言うような“真実を見る目”がわずかだが、わかったような気がする(あくまでも気がするのである)

先生は、私に日本史を教えてくれたとは思っていない物の考え方、見かたを教えてくれたと思う。考えるべき問題を与えてくれたと思う。

(K・Gさん)

強烈なことを言うなぁ。とは思ったけれども、一方的、押しつけだとは思ったことはない。真実はそうなのかと思ったし先生はそういう考え方なのかと思った。ようするに生徒の受け取り方次第だと思う。

新聞や小説その他諸々の書物から抜粋した多くのプリントはたいへんためになった。独力では何年かかるかわからないものをあのように重要部分だけ取り上げてあるので濃度の濃いプリントだと思う。

(T・Iさん)

先生にはこれまで随分、色々教えてもらった。

私はいつも受身だった。もっと自分からもとめれば、私はもっと先生から得るものがあっただろうに…

 残念な気持ちも残っている。

でもね、先生。私は時々イヤになる事がある。(あった)

それは、確かに、先生は自分のもっているものしか教えられないだろうが、私はそれに巻きこまれて、先生の言う事がすべて正しい事であると、うのみにしてしまう。 イヤ、うのみにすることしかできない自分がいやだった。もっと、自分の意見をもちたかった。先生の意見を批判してみたかった。先生の考えは1個の見方であって、もっと別の面から見た考えだってあるはずなのに、それが考えられなかった。

先生の考えが、みんな、自分の考えになっちゃって、私の頭の中は先生の考えで占領されてしまった。(ああ…イヤダ イヤダ)

私はクヤシイのです!

でも、今に見ていろ。

これから先、先生から離れて、自分で色々なものをさがし回って、考えて、その時、先生の意見と対比してみせてやる。

8について(注:授業を明治維新からやってみようと思うけど、どう?という問いかけ)あれ賛成。現・近代の方がおもしろいし、現在の問題に密着していていい、歴史だからといって昔のことばかりやっているのは能がない。その時の時事問題などをやって、その起発点とか、これからドウナル?と みてみるのもおもしろいではないですか

(F・Kさん)

受験体制とは?

私も昔は考え悩んだこと。

そして わからぬままに なんとなく消してしまった考え。

受験べんきょうもいやになり、反抗的で、くらくなり、

いつも間にか皆から はみ出していた私。

日本史の授業を受けるようになって また考えるように

なった私。

白紙のテストもマルクスも もうしらじらしい。

本当はこんな事じゃないんです。

もっと しんけんに 心の底から考えるべきなんです。

課題図書の事、とてもいいと思いました

私の親なんかも、あんな本を見ると、すぐ「アカ」と

しんけいしつになります

でも、何もしらずに、今を過ごしてはいけないんです。

今は、何でも考えるべきです。そして、正しい判断もできるはずです

学生がなぜ、オキナワ を考えてはいけないんです?

私達は、学生である前に、1個の人間なんです。

もちろん学ぶことは大切ですが。

でもわかりません。

たしかに 目先にとらわれるのはよくないことです

でも、事実、今 しなければいけないのは、

受験べんきょうです。大学へ行くことにぎもんを持ちながらも、

今、必要にせまられているんです

やりたいこともできないでいる今、

何をしたらいいかもわからないで なすがままに

なっている私

わからない 高校って いったい 何?

今は 確信を持って受験べんきょうのできる人がうらやましい。

ピントのはずれたことを書いちゃったみたいですみません。

(K・Iさん)

僕が考えていること。

今、僕等は3年、つまり、受験というものを当然いしきしている。でも受験体制というものに、僕は、僕はふりまわされたくない。僕等(他3名、他校2名)はフォークというものを通じて“反”体制“を小さな声で叫びながら2年もたった。つまり、今の教育体制や、社会体制に不満があるからである。今までに何会(ママ)となく教師(一部だが)(先生とはいわない)と話し合い、対立してきたのだが結極(*ママ)僕等の“力?”が弱いのと“相手”があまりにも強かったから、僕等の“敗北”に終ってきた。僕等は、反戦のために(ホントウワ?(ママ)べ平連のデモにも加わったことを覚えている。その時てん(2年前)では本当の意味を知らずして行動したかもしれない。しかし、現在はちがう。毎日世界のどこかで戦争が続き、何人もの人が…

今も沖縄の問題に日本(我々)は直面している。又先日も成田空航(ママ)のことで人々は戦った。その相手は、もちろん国家である。国家は我々国民に対して少しでもよい生活と静かで“平和”な毎日が送れるようにしてくれるのが本来ではないか?

僕は、このように戦っている人をえらいと思う反面、自分をなさけないと思う。心のままに動けない自分をここに自分との戦いをして それに勝たなくては と思う。

しかし、まわり、近所、又は学校を意識してしまう。教師に反発する、と、教師はそれを、はねかえす。はねかえされても又反発する。すると、こんどは“権力?”のようなもので押しつける。これが私達にためになる押しつけではないことはわかる。しかし、勉学の面での強制や押しつけは、ともすれば遠い未来に何らかの形で我々に役にたつのではないかと考える。

今のところ、信頼できる人といえば“友人、信頼できない人といえば、まっさきに“教師”(すべてではないがほとんど)があがるのは僕のまちがいだろうか。

教師を信頼しないで教育を受けてはたして、学問というものを得られるだろうかはギモンである。しかし、どう又は何といっても“学暦(ママ)”というものが巾をきかしている“まちがった”国に住んでいる以上、又「悪法も又法なり」という言葉のように従わなくてはならない面も出て来ると思う。

そこで教育の目的をかえて、世渡りのうまい人をつくる機関(←チョットおかしい)としたら?

教師の押しつけがよいかわるいかは、もうはっきり自分でわかると思う I think はっきりいってあまり良くはない。

話が全々(ママ)まとまっていないけど、結論みたいなのを出すと教師というものの本来の姿をなくしつつある現在の教師、又、時代に適合していけない教師、そして、自己中心的考えをもつ教師、の押しつけ(すべて自分で判断)には、従わず適当に“あしらって”おき本当に自分の考えや、自分たちのために動く(みかけだけではない)教師(先生とよべる)を信頼して、又、その押しつけも、もう一度考えてその対策をうちだしていく、又、戦い(戦争)に反対(反戦)し我々、そしてすべての人間の平和が来ることを、僕は望む。又、そのために行動(できる限り)していきたい。又教師に対しての反発もどんどんしてゆき学生(高校)時代に何かをのこしたい。

(S・Iさん)

*(ママ)の表記部分は誤字をあえて修正していません。

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