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実家の母逝く


10月6日午前2時25分、実家にて家族で看取りをしました。

享年60歳。原発不明癌。

検査したときには、脊髄に癌細胞が見つかり骨転移末期。

放射線も抗ガン剤も、まったく効果の可能性がないという状態でした。

たった3ヶ月前の7月中旬には、夫婦でオーストラリアへ旅行をしていたのです。

6月末から若干体調が優れなく、通院はしていたものの

キャンセルするほどの不調ではなかったそうです。

痛みが強くなり、帰国後に様々な検査をしたところ、急展開で末期癌の発覚。

病院もよく通って、何かにつけ検査もやっていた。

両親兄弟が癌死なので、病気に対しても、身体によいと言われる自然食品などにも詳しかった。

煙草も吸わないし、不摂生も全くしない、穏やかな生活をしていた人でした。

なにも悪いことをしていないのに、癌の中でも一番疼痛の厳しい骨転移はあまりにも酷な仕打ち。

父にとっては、二人目の伴侶も20数年前の前妻と同じ末期癌死別となりました。

湘南鎌倉総合病院入院、7月17日~8月24日。

父は、日中少しの帰宅時間以外、同室に付き添い泊まり込んでいましたが

結果、治療の手だてがないということで、遠回しに退院を薦められることになりました。

また、病院の移転(9月新装オープンで新館へ引越)の時期に重なっていたせいか、院内は慌ただしく

医師や看護士は、患者本人と父にとって納得できる対応ではなかった、と愚痴を聞きました。

でも、検査は迅速にぬかりなく、医療的には優れていたようです。

セカンドオピニオンのがんセンターさえもが十分だと評価し、所見も変わりませんでした。

徐々に経口摂取ができなくなり、維持剤点滴のみの4日間は薬の副作用も辛く

病院にいたら殺されるという恐怖感と被害妄想が激しく、退院を決定。

退院時には、余命1週間という宣告でしたが、在宅看護を選択しました。

そして、介護保険申請が決まり、一番難易度の高いレベルの要介護5が認定され

病院連携の訪問看護・訪問介護など様々な機関の協力を得られたことは、有意義でした。

父はベット脇で添い寝、身内が交代で泊まり込みで夜間介護をフォローし

絆を改めて深め、各自ができる範囲のことで誠意を尽くすことができました。

それからの日々は、毎日が勝負。

危篤寸前の在宅介護については、本が一冊書けそうです。

最期の看取り。

故人植木の最期には、家族が揃ってきちんとお別れはできましたが、それとは全く違う体験をしました。

病院のベットの上で機械に囲まれた死別というのは、寸前に急にバタバタと緊急処置が行われます。

あわただしく「処置しますのでしばらくはずしてください。」と一時病室を追い出され、入室。

医師や看護師の見守る中、ピーッという冷たい音を聞き、心電図のモニターが平坦になっていく。

声をかけ続けると、一筋の涙が流れたのが最期でした。

映画やテレビドラマで見ているシーンと同じなんだ・・・と、頭の隅でもう1人のわたしが感じていました。

そして霊安室は寂しすぎて、なんでこんな冷たいところに、という悲しさを記憶しています。

今回、死というものに真正面から寄り添えた看取りは、

伴侶の父と違って客観的かもしれませんが、自然のままでなんとも厳かでした。

夕方訪問の看護士からは、今夜がヤマと伝えられ、身内は集合。

数時間の声にならない苦しい喘ぎ、粗い呼吸で精一杯いのちの火を灯す。

弱々しくなっていく呼吸と同時に、辛く苦しい表情が安堵感に変わっていく。

半開きの目が深く澄み渡り、甘い笑顔に見える。

ちいさな息と共に、すっーっと逝く感じで魂が抜けていくような感覚。

手を握り、髪をなで、腹部で脈をとっていた自分に温かなぬくもりが伝わり、心にまで広がる。

旅立つ人の顔の穏やかな輝きが、看取る者たちにしあわせを分けてくれるような瞬間でした。

最期に父が優しく声をかけると、

左の目尻にきらりと涙が流れたのを見たのは、すぐ横にいたわたしだけでした。

死は、怖いものでも恐れるものでも、忌まわしいものでもなく、

命の終焉とは、誕生と同じくらい神秘的で美しいと感じました。

ありがとう

おかあさん

"実家の母逝く"に4 件のコメントがあります

  1. コメント from 美保・y:

    ご愁傷様です。
     思いも寄らぬ事で愕然としております。
     お母上にお会いしたときのことを、今日一日考えておりました。美しく理知的な目をして、てきぱきと仕事をしてらっしゃいました。
     
     ご冥福をお祈り申し上げます。
     また、いいお仕事をさせていただいた事に
     感謝しております。  
     
                 

  2. コメント from うえきあゆみ:

    ありがとうございます。
    重い報告にコメントしていただけたこと、本当に嬉しく思います。

    実際、若在りし母のことを知っていらっしゃる方は、テキスタイルデザイナーの関係でだけだと思います。
    わたしが、弱小メーカーでテキスタイルの企画デザインをやっていた頃、大手アパレルWに出入りできるようになったきっかけは、亡くなった母でした。
    当時、某ブランドのコーディネーター兼チーフデザイナーとして活躍していましたので、縁あってお世話になりました。

    ある時から、すっぱり人生の方向転換をしたように早期退職しましたが、わたしの記憶も職場での”Mチーフ”という印象が鮮明です。

  3. コメント from michiyo:

    あゆみちゃん、時間がなくて日本でゆっくり会えなくて残念でした。
    アバビ村でここに来てみたら、あゆみちゃんのお母さまの記事につい大きな共感を感じ、書き込みします。最後のあゆみちゃんの感じた事を日本で感じることのできる人は今はとても少ない気がしますが、人が生きる・・ということは誕生と死という大きな扉を抜きには感じられないものですから、大切な大きな感動をあゆみちゃんの心に残した素敵なお母さまに乾杯!
    今度こそ、あゆみちゃんと乾杯しに帰りますからね。母になった事を私もあゆみちゃんも人生最大のラッキーだと感じながら、まだまだ頑張らなくては!
    それからやっとウエキにお線香あげにいかれます。

    毎日・・・死ぬまで走れと、耳に声がします。・・・・走ってますよ。

  4. コメント from いかり:

    父は、湘南鎌倉総合病院に転院を迫られ、異常に古く汚い病院に転院させられました。

    転院先を下見せず、SWに任せてしまった自分を、今、責め続けています。

    転院先は、今はいえませんが、そのクリニックで、前立腺がんが進行し肺に転移してる可能性が・・・と告げられ、日に日に悪化しています。
    癌の転移を指摘してくださったことに関しては、感謝しております。
    肺炎らしいと入院して、3週間入院していて、既往で前立腺がんを知っていた湘南鎌倉総合病院が肺への転移に気付かなかった?
    それとも、気づいていたが、入院が長引くと、損するから気付かぬふりしてほかの病院に転院させた
    どっち?

    転院した先が余りにも要撃的な所で、すぐに転院を考え、受け入れ先が見つかったので、転院を希望したのですが・・・
    あと一週間、受け入れに準備が・・・

    父がそこまで頑張ってくれるか、どうか・・・
    頑張って‼
    余命を、少しでも、人間らしく、過ごさせてあげたい

    湘南鎌倉総合病院の対処法は、一生うらみます
    他人から聞かれれば、お勧めはしないし、多分やめた方が良いと伝えます。

    一か月以上入院しそうな患者は、転院を勧められ、転院先は、どんな所か保証はされません
    どうか、転院先は下見をしてから判断してください

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