Main menu:

UEKING ROOM

ガレリアセルテ出展者一覧


アベ ヨシコ
植木先生は夫の高校時代の恩師で有り、又、夫にとって良き先輩・兄の様な方でもありました。いつも照れくさそうに笑いながら、やあ、こんにちは…と、おもしろく話をした事を思い出します。私の実の妹が先生と同じ病気だとわかった時も、ご自分の事も有るのにとても心配して下さいました。今は天国でお酒を飲みながら暖かくみんなの事を見守って下さっていると思います。


棈木 康之(あべき やすゆき)
植木センセイ結婚して子供もいるらしいよ。そんな噂話しを聞いた時、僕はすぐに信じられなかった。センセイは結婚や子供に興味ない、家庭を好まない人だと決め付けていたからだ。だがセンセイの個展へ行くと、モチーフが家族の作品や、娘さんの話にデレデレする姿があった。がっかりしたやら懐かしいやら、高校時代が交錯する。あの頃センセイもツッパっていた。教師なのに反抗児だった。いつでも自分に正直だった。ニューヨークの香りがした。ちょっぴり憧れていた。センセイも父親か。センセイにはなれそうないが、父親なら僕にもなれそうな気がした。僕のささやかな目標だ。


池田 秀俊(いけだ ひでとし)
植木さんの相模湖交流センターでの個展の折、それは花火の日でした。自分達の制作についての思いを語り合いました。元気になって復帰するのだと言っておりましたが、話の中にお互いの身の上話しが混ざったりして、少し気弱な部分も正直に見せてくれたことが、かえって私にとってはうれしいことでした。


池田 麻希江(いけだ まきえ)
植木先生は、シチュエーションによって呼び方を変える。教育実習中、生徒の前では「池田先生」、でも準備室での授業の反省会では「おまえさぁ…」。先生の個展会場に伺うと「池田さん」。何か先生に頼まれる時の電話では「まきえちゃん」や「まきちゃん」…先生はどの位意識していたのだろう。


犬塚 真由美(いぬづか まゆみ)
今、思うと植木先生は私にとって初めて出会った“アーティスト”だった。先生の周囲はいつもアート・芸術のニオイ・雰囲気がプンプン漂っていた。あの時の“ニオイ”は多分ずっと忘れないと思う。


岩崎 慶太(いわさき けいた)
昼ご飯を忘れてよく美術室で植木先生にインスタントラーメンを作ってもらったのを覚えています。美術室で色々な事を教えてもらい、進路も決めました。今でもその時間が今の今の自分の大きな構成要素となっています。また植木先生が毎日k・swissのスニーカーを履いていたのが強く印象に残っています。高校時代は、それを真似て、なけなしの小遣いでk・swissを買ったのを覚えています。


上野 浩二(うえの こうじ)
うえきこうじ、うえのこうじ、一字違いのそんな関係で、とても気になる存在でした。卒業後一年、友人に連れられ西高に行き、言われたあの一言、今でも忘れられずにいます。


大石 晃裕(おおいし こうゆう)
僕は直に植木先生に会ったことはないのですが、ひょんなことから奥さんのあゆみさんと知り合い、植木先生のシルクスクリーン感光機を使えることになりました。そしてシルクスクリーンを使った表現を探求できることになりました


大社 優子(おおこそ ゆうこ)
高校時代に出会った植木先生。常にまっすぐ、ひたむきに製作をし、話をした先生のことを思い出すと、今も自分の現状を問いかけられる。そうやってこの先もずっと、私の中で先生は生き続けるだろう。


荻野 七生(おぎの ななお)
私は、藤沢西高への入学が決まってから、いつか壁画を学校に残したい、と思っていました。正直、中学までの美術はあまり楽しいと思えるものではありませんでした。でも、西高の植木先生の授業は楽しく、その経験もあって“モノ作り”という道を選びました。普段は平面作品はあまり作らないのですが、「生」をテーマに「生きる木×クツ」を表現しました。


尾山 弥生(おやま みお)
藤沢西高で授業・部活ともに3年間お世話になりました。美術にも生徒にも真面目に向き合う先生でした。この王冠は、先生(UEKING)のためにつくりました。私が作った王冠の中で、一番大きいんですよ。


加賀谷 潤(かがや じゅん)
「大きく描けよー。のびのびとなー。」と植木孝二はいつもいってました。だから今でもわたしは、大きくのびのびと生きているよ。


垣内 治雄(かきうち はるお)
植木孝二が横浜に来たのは’76頃。翌年、横浜彫塑研究会に入会、’80には横浜美術協会大賞を受賞、市民ギャラリーの地下アトリエで、横浜駅東口の中外倉庫のアトリエで、夜毎よく製作し、良く呑んだ、共にエゴンシーレに感動したり。いづれ又彼岸のかなたで呑もう。


柏木 尚美(かしわぎ なおみ)
植木先生の美術の授業の中で“好きなことを表現していい”ということを教えていただいたと思います。そのことに集中し、ひらめいて、かたちにした時、自分の知る以上のすごい力が出てきました。「好きなこと」の魅力、偉大さを知りました。


工藤 絵里(くどう えり)
植木先生に、先生の個展の留守番を頼まれたことがありました。それが縁となり、私もそちらで絵を展示することになりました。その時、先生が一番気に入ってくれたのが、このスイレンの絵です。「これがいい」といってくれた先生を、今でもよく覚えています。


グルテン/額賀 康子(ぬかが やすこ)
先生には、ラーメンをごちそうになりました。コーヒーをごちそうになりました。アーモンド入りのチョコレートも美味しかったし、しじみスープも美味しかった。先生の空気と出される食べものは、なぜかいつも心にしみ入るものでした。


竹村 真理子(たけむら まりこ)
大学を卒業した植木さんは、彫刻制作の場を求めて横浜彫塑研究会に入って来ました。中年にさしかかったメンバーの中で、次々と大作をものにして行く植木さんは、いろいろな意味で目立っていました。化粧して来たり、イヤリングをつけたり、飲みながら制作したり…制作の後でみんなで飲みに行く回数がふえました


丹沢 裕子(たんざわ ひろこ)
大学時代の同期の親友・Tちゃんの恩師だったUEKI。先生であることは知りつつも、先生と呼んだことは一度もなかった記憶。いつもUEKIは大好きなお酒と、刺激的な作品と、気のいい仲間に囲まれていた気がします。回顧展で、作品を見つめながら誰かが言っていました。「エゴン・シーレが持ち得なかった幸せを、UEKIはもっていたんだね。」と…。


辻 直之(つじ なおゆき)+高梨 麻紀子(たかなし まきこ)
植木先生は、わりと美術室のとなりの準備室におられたことが多かったように見えました。生徒たちの作品を管理したり、彫刻などを作ったりしておられたようです。用があり寄らせてもらい、先生を訪ねてきておられたOBの方々を紹介していただいたことがあります。


新田 雅秀(にった まさひで)
よく飲みあるきました。最後は眠りこけてしまう姿が眼に浮かびます。もっと一緒に飲んで騒ぎたかった。


野地 暎人(のじ てると)
独特な彩色の彫像がとても魅力的だった。藤沢の追悼展会場で逢った油彩の作品群は、エゴンと自ら名乗る源を垣間見れて刺激的だった。


野波 実(のなみ まこと)
初めての授業で、トンガ出身と真面目な顔で自己紹介したり、廊下で会うと「元気?」なんて言いながら股間を?んで挨拶してくる植木さん。そんなちょっとふざけた感じでいながらも、教育実習では厳しく堅い指導をしてくれました。一度、個展にも来てくれました。授業は緊張。そして植木さんはぶっきらぼう。作品について、そして制作についてもっと話せばよかったと思います。今回の先生との展示をとても嬉しく思います。ありがとう。


廣川 育子(ひろかわ いくこ)
クロッキーから授業が始まる。皆 真剣に描く。静かな緊張感 先生の声がきこえ 一つ一つの線が生きてゆく。いつでも熱く、時に心配する先生はとても人間味がありました。


広瀬 弘幸(ひろせ ひろゆき)
この際なのでと思ったらこんな絵を描いてみたくなりました。どうせなら最近のものをと写真を撮りに行ったのですが、天気や体調が合わず写真だけで1ヶ月以上時間がかかってしまいました。自分の原点みたいな意味で、この場所の持っているエネルギーみたいなものが表現できたら、いい絵になるかなと思うのですが、果たしてそうなっているのでしょうか?植木先生には、茅ヶ崎高校にて二年間担任で、三年間美術を教えて頂きました。美術授業での絵の製作中、行き詰って半分ヤケクソで好きな色を無茶苦茶に入れた時に、よく壊したねと褒められた(と解釈)のが、記憶に強く残っていて、20年以上経ちますが未だにその様な描き方をしております。先生から受けたものは、授業の内容よりも言葉の断片や先生の立ち居振る舞い(?)や作品からが大きいのかなと思います。主に油彩で好きなもの(最近は風景が多い)を描いています。


武川 れいこ(むかわ れいこ)
秋に毎年開催されるハマ展に、植木さんと同じく出品していました。そこには、いつも気になる彫刻があり、毎年楽しみに拝見しているうちに、一体どういう方が創っているのかを、どうしても知りたくなりました。なんとか電話番号を調べ、突然電話をして、御本人を驚かせたのは私です。「作品を盗みたい程です」と言った言葉にとても喜んでいたのを今でも覚えています。以来、作品を写真に撮らせて頂いています。


森田 彩日(もりた あやか)・華未(はなみ)
茅ヶ崎高校時代にお世話になりました、水船奈美です。植木先生には、進路の相談にのっていただきました。その時、「みずふね」と呼ばれるのではなく、先生は、私の事を「なみ」と呼んで下さり、胸がドキドキした事を覚えています。その後、私はグラフィックデザイナーとして環境計画の仕事をしてまいりました。2001年に双子の子供が生まれ今は子供と共に絵を描いております。最近では子供の元気な絵からパワーをもらう事が多くなり、今回は二人の作品を加工した絵を展示させていただきます。